明治時代の建築を支えた、ゆかりの地

名匠とゆかりの地

名匠とゆかりの地

幌内鉄道(現在の函館本線の一部)が開通し開拓使による原土調査が行われていた約130年前の明治15年。
駒沢小平によって、白石沿線表土の比較的浅いところからレンガに適した褐色の土が発見されました。
その二年後、鈴木式レンガ焼窯の発明で知られた名匠鈴木佐兵衛氏が東京から北海道へ移り、現在の白石区に鈴木煉瓦製造場を建設。
北海道における本格的レンガ製造業の先駆けとなりました。

鈴木煉瓦製造場は、農業で生計が立てられるようになるまでの間の貴重な現金収入源として開拓者達の生活を支えまた製造された白石レンガは、北海道庁、東京駅、ビール会社の工場などに使われ北海道内外の建築を支えてきました。

近隣地域の他社レンガ工場出現、大手企業のレンガ工場開設セメントの出現、さらに鉄筋コンクリートの普及により大正11年、鈴木煉瓦製造場はその役目を終えました。

その後、このゆかりある地を山石祐一氏より譲り受け8名の名匠の手によって「蕎傳」が生まれました。

蕎傳 多加べえの茶屋総本店蕎傳

蕎傳を創りあげた名匠

家柄木清和兼平吉道 安田勝美樋口雅山房 吉岡塗装店本間博志 中川一辺陶筒井敏伸